社会に変化をもたらす挑戦をサポートできる専門家でありたい
生年月日 | : | 1979年11月2日 |
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所属企業 | : | Tokyo Athletes Office株式会社、櫻井・小林公認会計士事務所 |
役職 | : | 代表取締役/パートナー |
最終学歴 | : | 一橋大学経済学部 |
出身地 | : | 群馬県 |
現住所 | : | 東京都 |
2002年
新日本監査法人 国際部 (現:有限責任あずさ監査法人)入所
2006年
GCA株式会社入社
2015年
櫻井・小林公認会計士事務所パートナー
2017年
Tokyo Athletes Office株式会社設立
当時強く意識していた訳ではないですが、今振り返るとM&Aアドバイザリーを初めたきっかけは、家庭環境の中で心に刻まれた「金融を知らないとマズい」という思いだったと思います。
実家は地方で観光客向けの飲食業を営んでいました。私が中学生の頃、新たに日帰り温泉を始めて事業拡大すると父が言い出し、金融機関から融資を受けて大きな設備投資をしました。日帰り温泉を始めるという事実に、当時はくる日もくる日も夢を膨らませ、どんな温泉を作るか語り合っている父と設計士さんの輪に入れてもらったりしながら温泉の完成を心待ちにしていました。1年ほどで温泉が完成し、当初は計画通りに事業が進捗していました。しかし僅か数年後にその地域には自治体が後押しする安価な温泉施設が濫立し、入浴料は父の当初計画で想定していたものを大幅に下回る水準で運営せざるを得なくなりました。また、地域の観光客数も減少し、返済原資に頭を悩ませ続ける父を傍らに見ながら、自分の進路を決める大学受験の年齢を迎えました。当時の私にとっては、金融の仕組みは謎に包まれたもので、自分ができることは安価なバイト代で労働力を提供するくらいというようなレベルでしたが、「金融の仕組みを知らないとマズい…」という思いが心に刻まれました。
大学は経済学部に進み、公認会計士の資格を取得し大学卒業後に就職した監査法人ではファイナンシャルサービスグループという国内外の金融グループをクライアントとする部署に所属しました。そこで国内外の金融機関や金融事業会社の監査を担当しましたが、謎に包まれていた金融の仕組みが少しずつ紐解かれました。
監査法人でシニアスタッフの年次になると徐々に監査やガバナンス以外の仕事が増え、事業再生やM&Aのデューデリジェンスの仕事に関わることが増えました。事業再生やM&Aは企業が大きな課題に直面した際に解決策として実行することが多く、ここを乗り越えるファイナンスの力を身に着けたいと思ようになり、GCAというM&Aアドバイザリーの会社への転職を決意しました。
監査法人ではデューデリジェンス業務を主体に関与することが多かったので、GCAでの業務はクライアントとの会話が「直面している課題をどうしたら解決できるか」に変わり、期待される役割が広範になったと感じました。M&Aが起こる経緯やコンテクストから見れば案件は本当に多様で、一つとして同じM&Aはなく、法制度やエグゼキューションでも異なる分野の知識が必要になり、都度ゼロからのキャッチアップも多く苦労しましたが、案件を経験する度に少しずつ知識・経験が蓄えられている実感もあり、前向きに取り組むことができました。
また、GCAから出向していた子会社のメザニンファンドの立上げと運用の一連の経験が今の私にとってとても大切な経験となりました。一つには、投資家から資金を集めて運用するといういわゆる「投資ファンド」の資金集めから投資・回収までを体験することで、運用するファンド側とお金を預ける投資家側の金融的思考や契約関係を理解できた事です。また、もう一つは、メザニン投資を通して、企業の代表的な資金調達手段である銀行借入と株式増資、またその二つ以外の多様な資金調達形態をクライアントのニーズに合わせて設計する経験を積み重ねられた事です。メザニンという資金は、銀行と普通株主が求める権利の間に設計するので、定型のものはなく毎度それぞれの投融資主体と契約交渉する必要がありました。LBOローンからプロジェクトファイナンス、新株予約権付社債や種類株式など多様な契約を理解し、その相手と交渉して自社のプロダクトを設計するという事で、100ページ超えの分厚い契約書や英文契約書に対する耐性もつきました。
監査法人やGCAでの経験を通して、よくわからないものだった「金融」の世界に対してそれなりに見通しがつくようになった頃、2人の子供の産休・育休のタイミングを迎え、しばらく金融の世界を遠ざかりました。産休・育休期間を過ごしながら生活をする中で本当にたくさんの出会いや気づきがありました。一つ一つ挙げるとキリがないのですが、例えば、「金融」の人として過ごしていた頃は特に不便を感じず「なんて便利!」と思っていた東京の公共交通システムでしたが、ベビーカーを押す子育て中の母になった瞬間に交通弱者になってしまうというようなことです。「金融」で24時間中20時間くらいを仕事及び仕事関連に費やすことのできていた頃には気にも留めなかった、世の中の”十分でない仕組”が色々と目に付くようになりました。
周囲と自分自身の環境変化のなかで、自分は専門家としてどのように生きていくかとうことを考え、2015年にGCAを退職して独立しました。独立した理由は、「自分が必要だと信じる事」を仕事にして生きていこうと思ったからです。
2015年にGCAを退職し、エンターテイメントや舞台芸術をサポートする櫻井・小林公認会計士事務所のパートナーとして独立し、2017年にスポーツベンチャーやアスリートのサポートをするためにTokyo Athletes Officeを設立しました。
「自分が必要だと信じる事」は何かを常々考えていますが、世の中の”十分でない仕組”に変化をもたらすようなチャレンジをしようとする主体をサポートすることが、今のところの「自分が必要だと信じる事」だと考えています。
例えば、スポーツやアートは日々の生活を豊かにしてくれる力を持っていると感じますが、社会の中に溶け込む仕組が不足しているとも感じています。課題は様々ですが、総じてスポーツやアートの存在が社会でサステイナブルに自律する仕組がないという点の問題に換言される部分は大きいと思います。スポーツやアートの統轄団体や支援団体、事業主体が直面している課題は紐解くとガバナンスの問題であったり、資金調達含む自立するための仕組の選択肢の制限がであったりする事も多く、これらの課題解決をサポートすることで組織が目指す変化への試みを後押しできるではないかと思っています。
また、ベンチャー企業は世の中の”十分でない仕組”に対して解決策を提示することをミッションとし、社会の変化を担っていこうという信念を持った経営者が多くいらっしゃると思います。ベンチャー企業が小規模の時に不足しがちなファイナンスやガバナンスについてのサポートを外部からサポートする事も自分が貢献できることだと考えています。
このような考えの下で現在はスポーツやアート、ベンチャー企業のファイナンスやガバナンスのサポートを活動の中心とし、組織へのサポートを通じて、組織が達成しようとする社会の変化を後押ししたいと考えています。
独自の強みは、会計・税務に加えてファイナンス実務で多様な経験を積んできたこと、自分が必要だと信じる事に対して突っ込んでいくチャレンジ精神を持っていることだと思います。
社会に変化をもたらすようなチャレンジングなお話をお聞きすると、実力を顧みずに前のめりになってしまうのが悪い癖ですが(たいてい事業者の巻き込み力がすごいので・・・)、挑戦するクライアントと一緒に、一つずつ壁を越えていく経験を重ねることで、チャレンジをサポートできる専門家として信頼を得られる力を蓄えていきたいと考えています。
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